小説のなかの手紙
いまさらながら夏目漱石さんの「こころ」ですが、あれ、中盤以降、全部手紙なんですよ。
つまりずっと「私」の語り。
普通に考えると無理じゃね?と思うんですが、そんなの気付かせないくらい、スピード感がある。
文章上手い人は違うなあと。
思ったりするわけです。
今は墓のしたの「K」の秘密と「私」の秘密で引っ張るから、ある程度吸引力があるとはいうものの、あんなに人を飽きさせない文章を書くのは至難の業です。
と、同じようなことをしながら、
思ったりするわけです。
とある小説家の方が、「文章上手くなりたかったら毎日書け」とおっしゃってました。
そうなんですけどね。老若男女、あらゆる職業、あらゆるカテゴリの人、誰だって毎日一定量の文章書くのは大変なんですよ。
と、以前思ってたんですが、ブロガーの人とか、個人サイト持ってる人は、どんなことでも記事にして毎日更新してりゃ、それが「毎日書く」こととニアリーイコールなんじゃないかと最近思いはじめました。
ただ、文章書いていくのもそれなりに体力がいるわけで、作文班が猛烈ないきおいで文章を打っていると、(造形班や読書班とはバッティングしないものの)ブログの記事は短くなったり飛び飛びになったりしますね。
それはどうしようもないか^^
だけど多分、なんでもいいから「推敲しながら長めの文章を書く」「そのジャンルにわからない人がむしろ理解できるよう努めて書く」というのは続けていこう。
そう、思ったりするわけです。
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