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2012年4月25日 (水)

読心術

↑こころを読むということです。

夏目漱石さんの「こころ」を読みました。
Zm120425
もう、古典中の古典というか、不朽の名作ですので、今更私の感想などどうでも良いのですが、まあせっかく読んだので。

あらすじ【こころ】
私が親しくさせてもらっている先生には秘密があった。
故郷に帰り、病気の父を見舞っていると先生から手紙が来た。
私は中身を一読すると、先生に会いに、汽車に飛び乗った。

三部構成なんですが、「私」や「私の両親と私」の話なぞすっとばして、ずっと先生の手紙だけで行っても良いのではないかと、シロートながら思いました。

先生からの手紙を読み始めたら、もう主人公の私は消え去ってしまい、終始、手紙の中の先生の「わたし」視点で物語が進んでしまいます。で、手紙のまま終わってしまう。手紙を読んだ私の感想など微塵も無い。そこは突き抜けたスピード感というか、良い読後感を与えてくれるわけですけど。

途中から主人公が変わるかのようなイメージ。

これが、漱石さんの狙いなのか、たまたまなのかは謎ですが(文豪に向かって、たまたまってことはないかw視点の移動は、狙ったんだろうなあ)、手紙だけのほうが、スピード感があっていいような気がします。

いやもちろん、先生と私の出会いと先生の奥さんのエピソードを少し冒頭に入れたほうが、手紙を読み始めてからの破壊力は増すわけですが・・・

破壊力。

そうか、それであのような構成にしたんでしょうね。先生の内側にある「あのエピソード」を終盤まで隠しておくために、序盤は書生さんから見た先生という構成になってるんだろうなあ。

読んで面白かったかどうかはともかく、硬質な文章に触れられてよかった。

漱石さん初チャレンジだったのですが、やはり三四郎とか坊っちゃんとかも読んだほうがいいのかな。

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