モノを食いながら話す小説と、ハッピーエンドになる小説
色んな小説を読んでいて(・・・といいつつ割とかたよりのある、私の読書ライフなのですが)、そんな中で気付いてきたことがあります。
例えば宮部みゆきさんの時代小説って、結構な頻度で食事シーンがあります。
「そりゃやっぱり●●が■■なんだろうなあ」
とつぶやいて平四郎は残った飯に味噌汁をぶっかけてかき込んだ。その冷や飯を飲み込んでおいてから、
「でよう、その話の先なんだが・・・」
てな具合。これ、夜中におなかをグゥグゥ鳴らしながら違和感なくずーっと読んでたわけですが、今更ながら気がつきました。
何もせず二人の登場人物が会話だけをしていると、セリフが長大になるんですね。
まだ二人で言い合ってるうちはいいですよ。
「そういうことなんだろう」
「いや、それは誤解があります」
「いいから聞きなって」
「でも・・・」
と、セリフひとつひとつを小分けにしやすいわけです。相手が「そうですね」でも言ってくれれば、長大なセリフを2分割できる。
でも、片側が聞き役に徹していると、困るんでしょうね。一人で延々2~3ページ話し続けてる状況になるんでしょう。
「聞いてください~~~
~~~2ページ経過~~~
~~~3ページ経過~~~
~~~4ページ経過~~~
というわけなんですよ」
「そうか」
「で、さらに~~~
~~~2ページ経過~~~
~~~3ページ経過~~~
と、なるじゃないですか」
「うむ」
と、こんな感じじゃなかろうかと。これは読む側はシンドイですよ。
だから登場人物たちは、
と、言うが早いか男はジッポーをカチリといわせ、付け加えた。
とか、
そう言うと、男は煙草をくわえなおして少し声を小さくした。
とか、
そう言い切って、男はルービックキューブを2面まで揃えると話を続けた。
とか、
そこまで話すと男はバールのようなもので因業ジジイを撲殺しながらもう一度話してくれた。
とか。何か食べるか、食事時じゃなかったら煙草を吸うか、コーヒーを飲むか、会話以外の別なことをやって長くなりがちな説明ゼリフを一回切断するんでしょうね。
あとクリスティさんの小説で、ラストに急に男女がくっついたり、予想外の遺産が転がり込んだり、友達以上恋人未満だった女性が令嬢だったことが判明したりと、強引にハッピーエンドに持っていこうとしてますが(←大御所に対して失礼)、それも数を重ねて読んでいくと、色々気づいてきました。
「あー、こんなにも苦しい、ヒドイことがあったんだから、少しくらい良い目にあわないと、ホントつらいよね。これで『残金をつぎ込んだ競馬馬は2位でした』で終わるのは、書き手としてもツライよね」
と思うようになってきました。
世の中そんなにうまく行かないわけですが、お話の中くらいはね・・・
と、早瀬五郎は遠慮がちに言うと、煮物のこんにゃくを口へ運んだのだった。
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コメント
小説でなくて脚本ですが、井上敏樹の実写モノに食事のシーンが多いのは、「人はものを食べてるキャラ・姿に自然と親近感を抱くから」というテクニックだと聞いたことがあります。(でも他の人が表面だけ真似ると「天堂総司の料理ギャグ」みたいに滑っちゃう。)
刺激的な展開が多い氏の脚本ですが、「人を殺したキャラはイイモンでも因果応報で最後には死ぬ」とかの意外と筋を通してる点に気づいてから、好きになりました。
投稿: ごんちゃっく | 2011年11月 5日 (土) 03時26分
ごんちゃっくさんコンバンハ!
井上さんはわかりやすい人物造形に徹してますね。ジェットマンで一気に好きになり、以降気になる井上さんなんですが、やはり哲学はしっかりなさってるんですねえ。
ゴーカイジャーに結城凱が出て以来、子供たちを洗脳すべく、ジェットマンのDVDを借りて来て家族で見てるんですが、そう言われると、自分の当時の記憶以上によく飲み食いしてます。
親近感も湧くし、間がもつという一石二鳥人戦隊を子供たちが徐々に好き(どれとは言わないですが、近年のアノ戦隊より面白いとのこと)になってくれてて、嬉しいです。
投稿: 早瀬五郎 | 2011年11月 5日 (土) 23時41分