« カエルのダンス | トップページ | 水入らずなのに湯に入る »

2006年11月23日 (木)

ふたり

最近仕事上の良く知ってる人に、私では受け入れられないような不幸(受け入れたその人がいるのに、勝手に不幸と言ってしまっていいのだろうか・・煩悶)があり、「生きていく」ということに重大な責任を感じる日々が続く。
寿命が続くまで元気で生きていられるというのは奇跡であり、幻想かもしれない。私はふたりの子供にどこまでしてやれるだろうか?

ふたつの命という記事で、何にも代えられない存在として坊っちゃんの生まれるまでを書いた以上、お嬢ちゃんのことも書かねばなるまい。
その出来事は、ちょうど今くらいの時期。秋だった。

坊っちゃんが2歳くらいになるころ、私は嫁さんと、かなり真剣に長い時間話し合った。
「兄弟が欲しい」という嫁さんと、
「坊っちゃんひとりでいいじゃない」という私。

この話し合いはまた、別な機会に書くとして、
私は説得に負け、ふたりめを作ることに同意した。
特に検査したわけではないが、一人目が出来たということは、嫁さんにも私にも、子供を作る機能は普通に備わっているようである。
が、しかしそれでも、妊娠検査薬にしるしが現れるまで、数ヶ月かかった。

不妊治療をしてでも我が子が欲しいと考える人たちの、気が遠くなるような長い戦いの時間を考えると、贅沢なんていえないが、それでも、月々生理がくるたびに、我々夫婦は落ち込んだ。

ほぼあきらめの境地にさしかかろうとしていたとき、子供は出来た。妊娠検査薬の結果は陽性。
正確な診断をしてもらおうと、私の休みを待って、病院へ行った。

待合室で待つ私と坊っちゃん。

かなり長い時間、待たされた。坊ちゃんとふたり、そこに置いてある絵本をすべて読みつくすかと思うほど、待った。

嫁さんが診察室から出てきた。

嫁さんは、砂を噛むように、私に驚愕の話を始めた。
「子宮の中に、袋はある。そのなかに、子供はいる。」

「しかし、心臓は動いてないらしい」
「一週間様子を見て、それでも、心停止状態なら、母体に悪いので堕ろしましょうと言われた」

それを聞いてから、私たち夫婦はどこをどう歩いたろうか。
病院の駐車場を出て、私の運転する車で、家路についた。

車中、嫁さんは、声も出さず、ただガタガタと震えながら、静かに泣いた。

今まで40年近く、生きてきたが、あの日以上につらい出来事には出会ったことがない。

こまかいことを書いていくと、待ちの一週間、いろいろあったわけですが、一週間後の検診にて、おなかの中の子の心臓は、元気に動いていた。
私の人生に、あんなに大きな地獄と天国をもたらした、お嬢ちゃんの存在が小さいわけがない。
何かほかのもので代えられる存在ではない。
今、普通にお兄ちゃんを出し抜いて暴れまわっているお嬢ちゃんを見ていてたまに、
「奇跡というのは以外に身近にあるものなんだなあ」
と思ったりするのです。

| |

« カエルのダンス | トップページ | 水入らずなのに湯に入る »

ふたり」カテゴリの記事

コメント

時折思うのです。
無事に産まれて、よくぞ我が家に来てくれたなぁーと。
自分を「親」にさせてくれた子供達に感謝しています。

…そう思えば、寝ぼけて顔面にフライングニーパットされようが、イキナリ走って抱きつきに来て急所にヘッドバッドされようが…

…が、我慢できるよね?ねっ!ねっっ!!(歯を食いしばれー!)

投稿: カモタロー | 2006年11月23日 (木) 22時40分

カモタローさん今晩は。
はい、もちろんですよ。子供には何をされてもダイジョウブ!
添い寝していて、双方の寝相の悪さから目玉がえぐれそうなほどケリをもらったり、ウトウトしてるところに上からのしかかられても(これは少しシアワセ)お父さんはダイジョウブなんです。そういうことに関してはお父さんは頑丈なんです。
もう少し大人になってきて、
「父さんキライ」
なんて言われたら、そりゃもう、粉々になっちゃいますけど・・・

家族には常に感謝ですよね!

投稿: 早瀬五郎 | 2006年11月23日 (木) 23時20分

上の娘に、海と月のうねりがやってきました。
そのこと自体には、本人は意外なほど平然としている(情報が行き渡った時代ですね)のだけれど、老世代の男共ほど昔のメンタリティで接するために、かえって逆効果を招いています。
それをあらかじめ想像できていた僕は、割と自然にほったらかしているわけですが、今度はそういうメンタリティが爺どもの反感を買ったりします。
ちょっとエキセントリックな日々のなかにある当の本人が、
「おとーさーんっ」
とか言ってなついているのだから、まあ反感も買います。
でも、内心、生命ってすげーなあと感嘆しているんですよー。

投稿: 嵐田雷蔵 | 2006年11月23日 (木) 23時41分

嵐田さん今晩は。
嗚呼、お嬢さんもう、そんなお年頃なんですね。
男の子と女の子を比べると、どうしても男の子の方が幼く、女の子はいつも一歩前を行ってる気がします。
そういう意味で、私も男の子ですので、嫁さんはもちろん、いつかお嬢ちゃんですら、私をはるかに置いてけぼりにしておマセさんになるんだろうなと腹はくくったつもりです。
お嬢ちゃんの成長に後ろから付いていくのがやっとなんだろうなぁ・・・

子供ふたりを見て、教えたわけでもない私や嫁さんのクセをコピーしているのを見ると、太古からつながって来た命の不思議さを思わずにはいられません。日常で、少しだけ感動する瞬間です。

投稿: 早瀬五郎 | 2006年11月24日 (金) 00時12分

最近、涙もろくて

記事を読んで、ホロッと涙ぐんで・・・

その後、きょうのコトー先生みて ホロッと・・・
(今日のお話はとてもタイムリーに命と赤ちゃんのこと)

見終わって、また記事を読んでホロッとまた涙ぐんで・・・

「おまいさんといると癒されるねー」
と言いながら
坊ちゃんを
ぐりぐりといじって遊ぶ

坊ちゃんと嫁さんに
毎日、元気を頂いて
毎日、ガンバレます。

投稿: Moonface | 2006年11月24日 (金) 00時17分

Moonfaceさん今晩は。
だんだん年を取ってくるとね、涙腺はきっと壊れてきちゃうんでしょうね。
最初の子供が出来たとき、人生観が劇的に変わりましたね。
自分の事はともかく、コイツがちゃんと前向いて立って歩ける人間になれるよう、手伝いをしよう。
そう思いました。そのために身を粉にして働かないと、子供からもらうものが多すぎて、返すのが追いつきません。
毎日元気を頂いて、皮肉屋だった私も前向きに頑張れるようになりました。

投稿: 早瀬五郎 | 2006年11月24日 (金) 00時32分

早瀬さんみたいに家族を大切に思える男性はカッコイイと思います。ほとんどの男性もそう思っているのかもしれないけれど、どう実行というか、表現するかというのが難しいですよね(^_^;)

おしゃる通り、奇跡や幸せっていうのは、身近にあるものだと思います。それに気がつくには上手く表現できないけど『ゆとり』みたいなモノが必要なのかなって思います。気持の余裕だったり、時間の余裕だったり、お金の余裕だったり。。。
ここにいると、日々の生活の中、たいていそのゆとりを失っていっている自分を認識してしまいます。なんとも寂しいものです(>_<)

寒い日に頂くとん汁(多分、甘酒なんだと思うのですが、私はあんまり甘酒が好きでないので、大好きなトン汁にしてみました(^^)v)のようなお話、ありがとうございました♪

ご家族と一緒の温泉楽しんできてください&ご家族&温泉パワーで、ますますパワーアップしてきて下さいっ(^_-)-☆

投稿: りょん | 2006年11月25日 (土) 13時39分

りょんさん今晩は。
かつては私も「自分ひとりで生きている」みたいな考え方でしたが、家族が増えていくにつれ、過去から未来へつながっていく命の大切さを感じるようになりました。
嫁さんや坊っちゃん、お嬢ちゃんが笑って暮らしていけるなら、自分は泥まみれでカッコ悪くても、全然平気です。
そのこと自体は決して大切な事でも偉い事でも無く、「ごく当たり前の事」なのだと、かつて人生の先輩から学びました。
内省的な記事にもかかわらず、共感頂き、ありがとうございます。

温泉、楽しかったです♪

投稿: 早瀬五郎 | 2006年11月26日 (日) 21時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ふたり:

« カエルのダンス | トップページ | 水入らずなのに湯に入る »