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2006年9月 2日 (土)

日本語がおかしなことになってきている

と、よく話題になります。
ほんとうにそうだろうか?思うに、日本語という物が、ただ単に、流動的なだけなんじゃないだろうか?
しつけとか、礼儀とか、ビジネスマナーとかは、確かに存在する。
明確にアウトセーフがある。

たまに採用試験に来た学生さんが、面接で
「御社に入社させられたあかつきには・・・」
などと話はじめ、
「いやいや、強制入社ではありませんよ」
と思わず口に出そうなときがあったり。

がしかし、日本語はやはり、流動的である。他国語がどれぐらいのスパンで変化していくのかわからないが、
英語なんて、アイ・マイ・ミーは昔から、アイ・マイ・ミーのような気がする。
日本語で、「ワシが男塾塾長江田島平八である。」の「ワシ」部分に当てはまる言葉を上げていくと、
ボク、おれ、自分、わて、朕、拙者、まろ、みども、よ、手前、それがし、あたい、おいら、ミー、ゆうこりん
際限なく出てきます。(ていうか、平八言うてるのにゆうこりんて・・・)
しかも小説を読んでいて、
「ボクはどうしてもその秘密が知りたいんだ」
という主人公を空想しながら読み進めていると、ボクって言っているのに、
実は女の子だったり、挿絵をみると、お前がボクって言うなよというくらいオッサンだったり、実は主人公の隣の家の九官鳥のキュウちゃんだったりする。

・・・絶対話がそれてる気がする。

日本語がおかしくなってきたわけではなく、その人目線で正確に使う人が減ってきただけじゃないだろうか?
「私は正しい日本語を使っています」
と公言してはばからない人も、江戸時代の人から見たら変な物言いに違いない。
その江戸時代の人だって、平安時代の人から見たら、どうもおかしな物言いに違いない。

どんどんさかのぼっていけば、土器に縄を押し付けて模様を書いていた人たちから見れば・・・
キリがないのでやめます。
美しい日本語というものの存在は認めます。でも正しい日本語というのは、時代とともに変わらざるを得ないんじゃないでしょうか。

ビジネスマナーもさかのぼっていけば、出来立ての地球の出来立ての海に発生した微生物も海の中で、上座と下座をめぐって議論していたのかもしれないですな。
「最近のプランクトンの考えとることはわからんよ」
なんていいながら。

というわけで今回はまじめな話をしようとして失敗するというお話です。

すごいオチ。

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雑記2006」カテゴリの記事

コメント

一つの指標。あくまで指標なんですが、ラジオ番組のパーソナリティのトークが、信じられないというくらいだめになっています。
よくよく考えてみると、専門教育を受けたアナウンサー出身者ではなく、タレントやモデル上がりのパーソナリティが当たり前の時代になっていますね。
それを言ったら、70年代の深夜放送もそうだったのだけれど、何かこう、流行語は発しても、そのセンスが一段上だったように思えることと、深夜放送の世界(リスナーの共通世界)をフィルターとした、暗黙の使用ルールもあったような気がします。
今は昼間っからトークがめちゃくちゃで、それが受けを呼んでいることと、フィルターもへったくれもない言葉の垂れ流しでしかないようなパーソナリティが乱立しています。
こっちの地方のFMなんて、もう聴けたもんじゃないぞ。という雰囲気にあふれています。
そうやって、言語ってものは変質していくんでしょうねえ。

投稿: 嵐田雷蔵 | 2006年9月 2日 (土) 23時24分

嵐田さん今晩は。すこしヨレた記事だというのに、ピシッと締まるコメントありがとうございます。
そうなんですよね。時代ごとに言葉があるというか、言葉遣いで時代がわかるというか。

その世界ごとの暗黙ルールを念頭において話される言葉というのは、少しくらい変な物言いでも聞いていられるんですけどね。
「使い方もおかしいし、ルール無視だし」というのは聞きづらいですね。

もひとつ思うのは、発する側もうまく言えてないし、聞く側も、ヒアリング力が落ちてるというか。
そういう言葉尻だけをとらえて罵り合ってる激昂討論番組が苦手ですね。
相手の顔つき、その場の温度なんかに気を配りながら対話する事をせず、短いメールだけで会話した気になってるから、人に物を伝える能力が衰えるんだなあ・・・と、このコメント欄で書いてる時点で説得力ゼロですが(笑)。

嵐田さん、掲示板等でなく一度ゆっくり生でお話しましょうね。

投稿: 早瀬五郎 | 2006年9月 3日 (日) 00時34分

自分でも明らかに間違っていると思いながらも使ってしまう言い回しがあります。
気をつけて直そうとしても、咄嗟の時、しかも一番大事な時に誤って出てしまったりします。
これが若い子に脈々と受け継がれていくとしたら非常に申し訳ないと思っております。

投稿: puriri | 2006年9月 3日 (日) 00時34分

puririさん今晩は。
つきつめていくと、何が正しくて、どう間違っているかというのは曖昧になっていくとは思います。
なので、「なるべく正しく使っていこう」という気持ちが大事なんだ!と自分に言い聞かせてます。
puririさんも、そこを気にかけておられる限りは、「正しいほうへ進んでいる」ということで良いのではないでしょうか?
そこがスデに適当な人が、意外に多くいるんですよ。
「君、正しく話そうというのを最初から放棄してるよね」
という人が。そこが心配なんです。

投稿: 早瀬五郎 | 2006年9月 3日 (日) 01時16分

結局の所…
影響によるものが大きいんだよね。
生きている時代と、その両親と祖父母辺りまでなんだよ。
それ以前の言葉っていうのは、実際に本人が聞いた事は
ない訳だから概念的な物しか伝わってこない。
親や祖父母の言葉はダイレクトに伝わって、基本言語の
体系を本人に作っていくわな。
学校とかの集団生活が始まるとさらにその場での言語体系も
できあがるし…
正しい言葉遣いっていうのは、基本的な警護の使いまわしを
指すんじゃないかなとワシは考えてます。
目上の人に対する言葉とかといったものね。
うちは言葉遣いに関しては、お袋がうるさかったから…
その影響を受けているワシも半分くらいしか出来てないけどさw
今の崩れきっている言語体系の若い人間が、これから世に
出て行くと大変なんだろうなぁと可哀相になってしまう。
一般常識を踏まえて考えれば、おのずと言葉も変わってくる
と思うんだけどねぇ…
今日呉線に乗っていたときに、高校生が多かったけど…
話や言葉遣いを聞いててトホホってしまいましたw

投稿: KKMD | 2006年9月 3日 (日) 01時22分

KKMDさん今晩は。
多分、この話題には食いついてくるだろなと思っておりました。

「ルールをわかっていて、つい間違える」
というのと、
「ルールなんて知らないし、知ろうともしない。言いたいように言う」
というのでは、同じ言い間違いでも天地の開きがあると思う。

そのKKMDさんが出会った電車内の高校生君たちが、50歳くらいになった時、どうするんだろう?と思うよ。
今までいなかったのは仕方ないとして、早く良い人生の師に出会ってくれと願う。

投稿: 早瀬五郎 | 2006年9月 3日 (日) 01時35分

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