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2014年9月17日 (水)

翻訳モノの逆バージョンを考える

けして翻訳家のみなさんを批判するとかそういう意味ではなく、現地人でない限り、その国のカルチャーを100%純粋には楽しめないだろうなあと、翻訳小説を読みながら思いました。
たとえばイギリスひとつとってみても、地方による方言とか、そこにしかない言い回しとか、そこまで斟酌して翻訳できるものなのだろうか? と疑問に思うことたびたび。
 
最近は、翻訳モノの妙な言い回しにぶつかると、
「ここ、その国のことわざとかで韻を踏んで面白さを出してるけど、訳せないんだろうなあ。あと、訳者がよかれと思って補足を入れて、より分かりにくくなってるんだろうなあ」
 
みたいにうがった読み方をするようになりました。
(これはこれで楽しくない読書のような気が)
 
 
日本文の例文(特に何の作品というわけではないです)
生き馬の目を抜く都会のジャングルで、俺は辛酸を舐めて生きてきた。
足を棒にして歩き回ったが、柳の下に二匹目のどじょうはいないし、棚からぼたもちも望めない。やっこさんに出会うのは、二階から目薬のような確率だ。
 
どこかの国に出版された訳文
密林都市を駆ける駿馬の眼球がえぐり出されるこの場所で、僕は酸味のある香辛料の味見役をして生計をたててきた
ステッキのように筋肉のない足では、柳の木を掘り返しても淡水魚の群れは見つけられない。また頭上の書棚からBOTAMOCHI(訳注:ササゲ豆を蒸して米とあえた菓子。同じ製法の菓子にOHAGIがあるが、こちらは生者が死者に年に一度出会う季節の食べ物。著者があえてBOTAMOCHIを使ったことで、探し人が生きている可能性を示していると訳者は判断する)が降りかかってくることもない。サムライ時代の行列の斥候に会いたいと願うが、眼病を患ったため、集合ビル二階に居を構える眼医者から薬を処方してもらいたい。だがそれすら達成がおぼつかないときている。
 
 
どうですか。いちいち立ち止まって悩むばかりで、読む気の失せる小説ですよね(笑)。

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